なんだか胸に一物が 吹っ切れなくて二週間ぶりに訪れました

田県神社と大県神社

 

 

田県神社は男の神様 大県神社は女の神様と言われ

五穀豊穣と子宝の神様です

両神社の境内に祀られているのがこれ

 

 

なるほどと思わせる石のシンボル

 

 

毎年3月に両神社の豊年祭りが行われる

以前はともに3月15日に行われていたが

大県神社がより多くの人出が見込める15日直近の日曜日に開催日を変更して以来

男根と女陰のシンボルをいただいた御神輿がぶつかり合う交合シーンは見られなくなってしまった

 

 

オイオイ それで胸の一物はなんだったんだい

はい いつの頃からかお祭りの見物人に外国人の姿を多く見かけるようになりましてね

出かける際の電車中でイチャイチャしているカップルが目障りで仕方がないんですよぉ

しかも 神殿前でお賽銭をあげてお参りをしている様子はありませんし

御神輿に載せられているシンボルに頬ずりをしたり

舌をだして舐めようとしている女性もいます

それを大勢のカメラマンがけしかけながらシャッターをバシバシ切るもんですから

治外法権下の神社一画で一時の無国籍無信仰無国政無秩序無警察状態が現れます

 


私は日本人だ

陰湿な性が体に染み込んでいる

湿った血が流れている

性とは日本人にとって陰湿なものなのではないかと考えます

それを享楽の観光目的で訪れる外国人に開放的な性表現をされたのでは たまったものではない

日本人の性的指向が男根女陰をシンボルにするような低俗で野卑なものだと誤解しないでほしい

 

 

厳しい冬を忍んで春を迎える農民達が 田植の時期を前にして

五穀豊穣と世継働き手の子宝をねがう気持ちが一気に噴出する「豊年祭り」

一時といえ性的に開放感を味わいたい気持ちがよ〜く理解できます

 

 

ここ数十年 神社周辺は田地田畑は造成され名古屋のベッドタウン化が進んでいる

農業を営んでいる人たちの家は本当に減ってしまい

日本の原風景としての土俗的風土は私たちの網膜から うすれつつある

今村昌平監督「にほん昆虫記」

立松和平原作 根岸吉太郎監督「遠雷」

大島渚「日本春歌考」

近松門左衛門原作 篠田正浩監督「心中天綱島」

若松孝二監督の一連のピンク映画などなど

男女の情念を湿った質感で描き出す映画は最近発表されません

日本の風土そのものが変質してきているのでしょうね

 

 

胸にかかえた一物をおろすどころか

背中にも一物を背負うようなことになってしまいました

まぁどうでもいいことなのかもわかりません

なにしろ私には子作りもへったくれもありませんから